京都市立堀川高等学校 学務部長 飯澤功 氏 博士(人間・環境学)

東海村での原子力事故がきっかけで理科教育に興味を持つ

Q:堀川高校に入るまでの経緯を教えて下さい。

A:大学院では人間・環境研究科に属して、地球流体という分野を研究していました。海洋、水、空気、マグマ等、地球上の流れるものはなんでも研究対象でした。とにかく、研究自体を楽しいと思って大学院に進学したので、将来の進路というものは考えていませんでした。教育に興味を持つきっかけになったのは、1999年に起きた東海村のJCOの臨界事故です。科学立国と言いながら現場の危険認識が低いし、それを報道する報道機関の用語もめちゃくちゃで何を言っているか分からないのに驚きました。被爆国でありながら原子力に関する知識が教養として広まっていない、むしろ反射的に原子力は怖いとか科学技術は信用できないという風評が流れてしまうことに危機感を持ちました。当時問題になっていた理科離れと相まって理科教育について考えるようになりました。

その当時研究室では、気象観測用に小さくて安価なデータロガーを作って、それを多数設置して局地気象の物理的なメカニズムを調べようとしていました。また、それをうまく使えば教育にも使える、すなわち、データロガーを多数設置して研究に活用すると同時に、それを活用して理科教育を行うというモデルを考えていました。そのようなときに、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)に採用された堀川高校が研究指導の出来る理科の教員を探しているとの話がありました。博士課程後期の修了まで半年ありましたが、理科教育に興味があり、データロガーが研究にも教育にも使えるというモデルの実証もしたかったということもあり、自然に堀川高校に行ってやってきたらということになりました。休学して堀川高校に勤務し、SSH事業の立ち上げに参加しました。普通免許状を持っていなかったので、最初は常勤講師となり、その後特別免許状を取得し,平成18年に京都市に採用され教諭となりました。

京都市立堀川高等学校 学務部長 飯澤功 氏 博士(人間・環境学)

文部科学省が高等学校を指定して科学技術や理科・数学教育を重点的に行い、教育課程等の改善に資する制度であり、将来国際的に活躍し得る科学技術人材等の育成を目的とする。

探究科の中に理系の研究を立ち上げ、研究のプロセスを身につけさせる

Q:堀川高校には生徒が主体的に研究を進める授業で有名な「探究科」※※があります。堀川高校に勤務された当初から、探究科は既にあったのでしょうか。

A:既に探究科はありました。私が入った時は、探究科が出来て4年目でした。1期生が卒業したばかりですから、まだ探究科の成果が出る前でしたが、探究科に自分で研究を進める「探究基礎」という授業があるから堀川高校に来たという生徒はすでに多くいました。ただし、当時の「探究基礎」の中で理科の実験が出来るような体制が十分整っていたわけではありませんでした。そこで、SSHの指定を受けたのを機に理科の高校教員も「探究基礎」に積極的に関与するようになり、さらに大学院生のティーチングアシスタントにも来てもらい体制を整えました。従って、科学研究を進めることが出来る「探究基礎」としてきちんとした体制が出来たのはSSH以降になります。


※※堀川高校の学校改革により生まれた専門学科「人間探究科」「自然探究科」をあわせた略称。その中の「探究基礎」の授業では、課題設定から研究報告書作成まで主体的に行わせることで、探究する力の育成をめざしている。


Q:探究科の中にSSHを核にして理系の授業を立ち上げるにあたって、どのようなご苦労があったでしょうか。

A:学校としての苦労は、研究指導に慣れていなかったということにつきると思います。研究経験があっても研究指導は話しが違ってきます。また、教えなければいけないと思うと、専門外のことをどうやって指導すればよいのか悩んでしまうこともありました。研究論文の添削も大変でした。添削と言っても直してあげるのではなく、ダメな理由を付けて返して生徒に自分で考えてもらうわけです。これは生徒の文章能力を身につけさせるのに重要であり、今でも続けています。

Q:個人的なご苦労は如何でしょうか。

A:あまりなかったように思います。堀川高校の場合、SSHに関する取組を普通の授業で行うということはあまりなく、主に探究基礎の中で進めるように設計されていました。私は探究基礎の中身を考える部署に入ったので、その中で提案しながら授業を進めることが出来ました。SSHの成果報告書を提出する時も、大学院時代に類似した報告書を書いた経験が役に立ち、どのようなデータが必要かを皆さんに説明し理解してもらい協力してもらうことが出来ました。


Q:探究基礎のキーである研究指導に関しては、どのように改善していったのでしょうか。

A:従来の研究指導は、生徒に課題やある程度の研究方針を示すような形のものでした。しかし、教育活動としての探究は、体験することが大事、つまり研究で良い結果を出すことが大事なのではなくて探究のプロセスを理解し,その楽しさを実感することが大事だということに気づきました。そのためには研究のすべてを生徒自身でしなければいけないだろう、と。だとすれば話は簡単で、研究指導とは、こっちが先手を打って、生徒が興味を持ちそうなテーマを与えたり、研究の方針を示したりすることではなく、生徒がやろうとしている研究に対して自分が興味をもち、理解しようとして、分からないことを聞けば良いのだ、と思い至りました。それから、生徒の考えを聞きながら、「なんでこういうことになるの」、「この実験で何が分かるの」、「このことを調べるのにどういう実験が必要なの、必要な材料は手に入るの」というように、質問しながら指導するというスタイルに切り替えて行きました。このスタイルは、数年後には教員間で共有されるようになってきたと思います。卒業生に聞くと、何を研究したかは忘れていても、自分で苦労したことや大事にしたことは良く覚えているので、自分で苦労をすることは大事だと思います。

博士課程を修了してよかったと思うことは5つ

Q:高校教員になって、博士課程を修了していてよかったという点を教えて下さい。

A:全部で5つあります。1つめは、楽天的になれたことですね。研究に失敗はつきものであり、失敗してもまた次がある、と考えられることです。多くの事は狙い通りにならないということも実感としてわかっているので、例えば思い通りにならかなかったとしても、「こうやると失敗することが分かっただけでも儲けもの」みたいな考え方が染みついていました。

2つめは、自分が知らないこと、分からないことは山ほどあるということを実感していて、教科書にこう書いてあるが別の考え方もあることも理解していることです。生徒は教科書に書いてあることを決まりきったことと思うことがありますが、実はある条件の場合だけということもよくあります。そういったことを理解するのを手伝ってあげることが出来ます。

3つめは、これが一番重要ですが、課題を設定し解決することを本当に楽しめるようになったことです。これには2つのよい面があります。1つは、教職につかなければ知らなかった仕事が山ほどあるわけですが、どんな仕事でもその中に課題を見つけて解決方法を考えて仕事を楽しむことが出来ることです。もう1つは、課題設定・解決の楽しさを生徒にも伝えることが出来ることです。人生いろいろあるけれども、それぞれの場所に課題があって、それを自分で見つけなければなりません。それを見つけるだけで楽しいし、解決できたらもっと楽しい、出来なくてもあれこれ考えることが楽しいというメンタリティを生徒が身につけてくれたらうれしいです。

京都市立堀川高等学校 学務部長 飯澤功 氏 博士(人間・環境学)

4つめは、研究と仕事は似ているということです。課題を見つけたり段取りを組んだりマニュアルを作ったり、そこでは研究と同じく仕事の本質を見極めることが重要です。SSHにおいて申請書や報告書を書く場合も、大学院での経験が役に立っています。

最後はチャレンジ精神です。高校教員は案外チャレンジが出来る職業なのです。1回1回の授業でこうやってみようとか、責任は伴うが自分で工夫できるし、冒険をすることも出来ます。チャレンジしてみようという精神は、研究経験を通じて培われたと思います。

研究を極めた人は生徒にとって格好いい存在

Q:高校教員を志望している後輩へメッセージをお願いします。

A:今何の研究をやっているかは、教員に向いているかどうかを考える上であまり関係がありません。問題解決そのものが楽しいとか問題を発見したり切り分けたりするのが好きだという人が、高校教員に向いていると思います。高校教育もいろいろな問題を抱えています。その中に課題を見つけて自分で解決することが楽しいと思う人、研究で培った問題解決能力を生かして行きたいと思う人に向いています。また、今の高校教育では研究指導をする機会は増えています。しかし、その経験がある教員は少ないので、研究経験のある博士人材への期待は大きくなっています。加えて、研究指導をしていると自分も学ぶことが出来る、例えば論文の書き方を別の視点から学び直せます。だから、ずっと高校教員でなくてもいいから、一度高校教員をしてみると視点が変わるかも知れません。ドクターコースにまで行って研究をしてきた人は、それで稼いではいないのでプロではないかもしれませんが、研究を極めてきた人であり、一つのことをしっかりやってきた格好良さみたいなものがあります。「自分はこれしか出来ない」ではなく「自分はこれをやってきた」ということを生徒に示すことは生徒に良い影響を与えると思うので、是非教育界に来てほしいなと思います。

Q:教育界に入るにあたって、注意すべき点はありますか。

A:もしも、研究指導だけをすればいいと思っていたら悩むかもしれません。学校の業務はいろいろあり研究指導以外のことで結構忙しかったりします。それを楽しく出来るかどうかということは、高校教員になって楽しいかの瀬戸際かもしれません。ただし、研究者も研究だけしていればいいというわけでもないでしょうから、研究職でも同じことだと思います。また、同僚とのコミュニケーションは重要です。授業は多くの場合一人でするわけですが、チームでする仕事も増えています。授業でどの教材を使おうかとか、ここをどう教えようかとか、教員同士顔つき合わせて議論をすることが多くあります。


Q:最後に、教育界に限らず就職を考えている博士人材の方へメッセージをお願いします。

A:今後のキャリアパスを考える場合に、この分野だったら今までのキャリアが生かせる、この分野だったら生かせず苦労が多いだろうという捉え方自体が問題で、それでは何も決まらないだろうと思います。ある分野で伸ばしてきた自分の力を、違う分野でどう応用していくか、どう生かしていくかという発想が重要だと思います。研究を通して伸ばしてきた問題発見・解決能力が自分の能力だという意識を持つことです。問題発見・解決能力を、研究をするためだけに使ったら研究能力でしかないですが、別のことに使ったらいろいろな能力になるのだという意識を持つことがすごく大事だと思います。大学でやったことと全然違うことをするのが格好いいくらいの風潮になったらいいですね。

取材2016年8月