企業

ミスマッチを恐れずに、やりたいことをやれる環境を見つけてほしい

株式会社浅井農園

代表取締役 CEO

浅井 雄一郎 氏 博士(学術)(左)

研究開発ユニット

澁谷 九輝 氏 博士(工学)(右)

三重県津市で、博士(学術)を有する代表取締役浅井雄一郎氏のもと、時代の変化に合わせた農作物の生産を行いながら「常に現場を科学する研究開発型の農業カンパニー」を目指す浅井農園。農業者であり研究者、科学者でもある「アグロノミスト」集団を掲げる同社では、さまざまなバックグラウンドを持つ研究人材が、植物の力による新たな価値の創造に向けた研究開発活動を続けています。

自由に研究活動ができる環境で、知的好奇心を刺激される日々

浅井 浅井農園の創業は1907年。私が5代目になります。代々、三重県の津市でササキツツジという植木の生産と卸売を生業としてきたのですが、時代が変化するにつれて需要が減り、私が代表取締役に就任するときに第二創業ということでトマトの生産を始めました。それからキュウリやイチゴ、パプリカといった施設園芸、そしてキウイフルーツなどの果樹園芸を軸に生産を行っています。

もはや、農業は生産だけしていればいいという時代ではありません。当社では、研究開発から生産流通まで一貫した独自のバリューチェーンを構築すべく、研究用のハウスを設け、「常に現場を科学する研究開発型の農業カンパニー」というスローガンを掲げて育種や生産環境などの研究開発を推進しています。

私はもともと研究人材ではなく、アカデミアや研究開発の重要性にはあまり触れてこなかったのですが、家業を継ぐにあたり、需要の先細りという危機的な状況を打破するためには、なにかに挑戦しなければならないという問題意識を抱きました。そこで私は、津市にある農研機構の先生方に植物の生理やトマトの病理などについてアドバイスをいただくことから始め、一念発起して会社のストロングポイントになるような研究をやろうと、事業を続けながら三重大学で博士号を取得しました。

植物は本来、計算が立ちやすいものです。つまり、遺伝的な特性を理解し、栽培管理の技術を高めることで再現性や生産性の高い農業を実現できる。そこには、サイエンスの立場から農業を支える人材、「アグロノミスト(Agronomist) 」の力が必要になります。澁谷は、当社における4人目のアグロノミストです。彼は農学が専門ではありませんが、スマート農業の技術が進化するなかで、エンジニアリングは非常に重要な要素になります。工学が専門領域であり、かつ研究経験も豊富な彼は、まさに当社が求めていた人材でした。

澁谷 私は徳島大学で機械工学を学び、学士取得後に自動車会社に就職して自動車の生産設備の設計・管理を担当する部署で働きました。2年後に大学に戻って、光関係の研究室に所属して博士号を取得し、徳島大学と理化学研究所にポスドクとして所属、その後光学機器メーカーに就職して研究開発に従事しました。その会社で2年間勤めた後に、当社に転職した形になります。

生まれ故郷である三重県にいつかは戻りたいと思っており、コロナ禍や子どもが生まれたことなど、今後の人生を見つめ直す出来事が重なったことから、「このタイミングで三重に戻らないと次の機会はいつになるかわからない」と感じたことが、転職活動のきっかけになりました。

とはいうものの、三重県で博士人材を募集している会社は少なく、転職先を探すのには苦労しました。就職情報サイトや転職エージェント、ローカルの就職支援サービスなどありとあらゆるものに登録したのですが、めぼしい会社は見つかりませんでした。最終手段として、インターネットで「三重」 「研究」でワード検索してみたところ、当社がヒットしました。私の専門領域である光は植物と緊密な関係がありますし、家で植物を種から育てるくらいには植物が好きだったので、「これは行くしかない」と応募しました。

今の業務は、ひと言では表せないほど多岐にわたっています。例えば、ハウス内で効率よく二酸化炭素を利用するための、換気を必要としない空調機の開発。太陽光を透過できる太陽光発電デバイスの開発。土やロックウールに代わる培地の開発、その他。大学との共同研究にも携わっています。入社2年目ということもあり、実際にアウトプットできる製品はまだ実現できていないのですが、自分の専門外のことも含めて自由に研究活動ができる環境で、知的好奇心を刺激される日々を過ごせています。

博士人材にしかできないことが、世の中にはたくさんある

浅井 三重県のような地方で研究開発型の会社を経営することは、資金面においても人材面においても難しい部分が多いのは事実です。そんな環境でも、澁谷たち研究人材が集まってきてくれたこと、彼らが自分の人生の一部の時間を浅井農園に投資してもいいと思ってくれたことに対して、応えられる会社でありたいと思っています。

農地にしても会社にしても、ひとりが独占していたらそこに価値は生まれません。みんなが集まって、考えて、価値を最大化できる「箱」であること、利用してくれる人たちが使い倒してくれる存在であることが大切です。そういう意味では澁谷は、この会社をうまく使い倒してくれているのではないでしょうか。

澁谷 私は、企業からアカデミア、アカデミアから企業、さらに大企業からベンチャーというキャリアを歩んできたので、それぞれの良さも課題もある程度理解しているのではないかと思います。

大企業では、多額の研究費を使える反面、考え方が凝り固まっている場合が多く、柔軟な研究をやりにくい印象でした。

一方アカデミアは、研究の自由度はあるけれど、ほとんどのポストに任期があるので立場が安定せず、安心して研究に打ち込めない側面もあります。今となってはそれはそれで刺激的かなと思いますが。また、教育や校務もこなさなければならず、プライベートに時間を割けない点、しがらみが多くて実績と評価が比例しない場合がある点も、私にとってはストレスでしたね。

正直、転職するたびに収入は下がっているのですが、生まれ故郷で、自由度が高くて刺激も受けられる研究環境にいられる今が、人生で一番充実していると感じています。

浅井 私が博士人材に最も期待するのは、「深さ」です。研究経験を経て身についた思考力や探究心、知力をもって、自分の興味の対象をどこまでも掘り下げようとする能力が、当社が求めるアグリノミスト集団には必要だと思っています。

付け加えるとすれば、スペシャリストでありながらもジェネラリストであること。一人ひとりが自分の専門テーマではない分野まで興味の幅を広げて、面白いと感じたことにすぐ取り組もうとする素養も大切です。

これらの素養は博士人材に限った話ではないので、当社としても博士であることは採用の必須条件ではありません。ですが、企業での研究や資金を獲得して自ら研究を進めた経験など、ある程度社会で経験を重ねた博士人材の方が活躍しやすい環境ではないかと思います。

当社のようなベンチャーを志望する博士人材にアドバイスするとすれば、重要なのは社会との距離感だということです。自分の好きなものを追求しながらも、自己満足で終わるのではなく、自分の研究のアウトプットが社会にどのように実装され得るかに興味を持っていてほしいと思います。

もうひとつ、たとえ優秀な人材であってもタイミングによっては採用できない場合があることも知っておいてほしいですね。ベンチャーは教育に割くリソースが少ないので、基本的には新卒採用はしていませんし、会社の戦略上、どうしてもマッチしない場合もあります。ただ、極めて優秀な人材からアプローチがあった場合には、その人起点で仕事をつくっていくケースもあります。澁谷の採用はその側面が強かったかもしれません。

澁谷 インターンシップなどに積極的に参加してどんな会社なのか理解しておくことはもちろん大切ですが、私はミスマッチを必要以上に恐れる必要はないと思っています。博士人材である時点で能力に疑いはありませんから、マッチしなければ辞めてまた別の場所を探せばいい。給与にこだわるなら海外に飛び出してもいい。起業する選択肢もあります。

私は、博士人材は自分の能力を低く見積もる傾向があると感じています。実は博士人材にしかできないことが世の中にたくさんあるので、博士人材としての力、それを活かせる環境を見つけることが大切なのではないでしょうか。

また、寝る間を惜しんで打ち込んできた研究それひと筋でキャリアを進みたい気持ちはよくわかります。ですが、その先には極めて狭き門しか用意されていないことも知っておいてほしいです。専門外でも博士として磨いた能力を活かせる場所はたくさんあるので、少し視野を広げてみてほしいと思います。

同じことは、企業の採用担当者や転職支援業者の方々にも言えると思います。求めている領域と異なる専門分野の人材だったとしても、博士は知的好奇心が旺盛で、情報収集能力も優れており、新たな分野に適応し探求する能力が高いと思います。ぜひ、応用力やロジカルな文書能力、プレゼン能力など、もっと幅広い判断基準をもって博士人材を見てほしいと思います。

(取材 2024年2月)