株式会社富士通研究所 ソーシャルイノベーション研究所 研究員 永野友子 氏 博士(環境科学)

開発と保全の関係を身近に感じてきた

Q:なぜ環境問題に興味を持たれたのですか。

A:父は、土木が専門だったので、私を幼い頃からよく自分の土木工事の現場近くに連れていき、現場に近い海では漁師さんに、山では農家さんに、そして工事関係者など、私は色々な人と接してきました。

このように開発と保全の関わりを幼いころから身近に見てきた私は、高校生の時、「お父さんがやっていることは環境を汚染しているの?」など質問をぶつけたことがありました。その時父から、「答えは自分で考えろ」と言われたことが、環境問題について勉強しようと思ったきっかけでした。

何が正しいのかわからなかった。農業関係者も漁業関係者も工事関係者も、色々な人が色々な考えを持って同じ所に住んでいる。環境問題って地球環境の現象なのですが、決めていくのは人なのです。それぞれに利害もあるなかで、誰かがどこかで意思決定をしている。時には対立が生じることもある。どうやって解を見つけていけばよいのか。それをもっと勉強したいと思ったのです。


Q:具体的にはどういう勉強をしましたか。

A:文理融合の環境科学部において、文系の環境政策学を専攻しました。そこで書いた卒業論文を高く評価してもらえて、先生に薦めていただいたこともあり、大学院に進みました。

修士課程の時、環境カウンセリング協会長崎というNPO法人(特定非営利活動法人)でボランティア活動に参加していました。学生キャラバン隊を作って小学校やイベントを回り、自然保全や地球温暖化の問題、ゴミ問題などについて、演劇仕立てで伝えるという活動でした。しかし続けるうちに、私はまだ社会で働いたこともないのに、分かった風なことを上から子どもたちに語っている自分に疑問を感じてきました。彼らはとても素直に受けとめてくれて、率直で素晴らしい意見も出てきます。でもこれがきっかけで環境に関心のある子どもが育っても、社会で受け皿が無いじゃないですか。私たちが就職活動をしても、環境科学って当時はほとんど採ってもらえないのに、無責任ではないかと感じました。自分たちが社会に出て活動することが先ではないかと。

このキャラバン隊での活動は、私に大きな気付きを与えてくれました。同時に、自分の知識も不十分だと感じていました。いろんな考えがある中で合意形成するためには、共通指標になるデータを示す必要がある。「この数値がこうだからこんな環境負荷がある」、「こうすればこの生物は保護出来る」など、定量的なデータに基づく環境評価がとても重要だと思いました。大学院で修士号を取得してそのまま博士過程に進んでいた私は、指導教授に相談しました。

Q:環境評価の研究分野は長崎大学にはなかったのですか。

A:当時、環境工学や環境生理学といった理系の研究室はありましたが、多様な評価方法を専門とする研究室はありませんでした。そこで指導教授からは海外へ行くことを勧められました。「環境問題は世界の問題だ。進んでいる国に飛び込んだ方がいい。外から日本を見ろ」と。

私はオランダにあるライデン大学の数学・自然科学部と連携している環境科学研究所が行っているインダストリアル・エコロジーのマスターコースを志しました。環境影響評価でライデン大学は世界で先頭を走っており、なかでも個別の製品やサービスについて、製造から輸送、販売、使用、廃棄、再利用までトータルで環境影響評価を行う“ライフサイクルアセスメント”という考え方を作り上げ先進的な取り組みを行っていました。その研究所は、当時、ヒュップス先生が率いていました。


株式会社富士通研究所 ソーシャルイノベーション研究所 研究員 永野友子 氏 博士(環境科学)

世界の最先端であり、自分が最も尊敬する教授のもとへ海を渡った

Q:どうしてライデン大学を知ったのですか?

A:実は、私はヒュップス先生に学部3年生のときにお会いしているのです。2000年の日蘭交流400周年の際に、ヒュップス先生が長崎で講演されました。続けて日本の学生がオランダを一週間訪問し、企業や国の環境政策を実際に関連する発電所などを見学しながら勉強するという短期留学制度に応募し、チャンスに恵まれたんです。

そこで私はヒュップス先生に会いたくて、その旨のメールをしてライデン大学に行きました。返信を待たずアポなしの訪問で大学側に拒否されたのですが、必死の訴えにヒュップス先生が研究室に通してくれて、会ってくれたのです。

閉館まで10分しか時間がなく、私は下手な英語で、「講演を聞いて感動しました。もっと勉強がしたいです」と伝えました。すると先生は、論文を紹介してくれました。

それから私はその論文を必死に読みました。そこには、オランダにはいろんな利害を持った関係者が集まって、環境影響評価をもとに議論しながら最適な解をみんなで考えていくというプロセスがあることが書かれていました。さらに、環境影響だけだはなく、人の生活などの社会的な影響や生態系への影響なども多面的に評価した分析がありました。例えば、国土の大半が海抜0メートル以下にあるオランダでは堤防の管理が非常に重要ですが、地域住民、行政、企業、NGO(非政府組織)、環境評価の専門家が横並びになって議論する。科学的なデータを関連する利害関係者に示して、多様な価値観や見解を同じテーブルに載せて決めていく透明性のあるプロセスの大切さを、オランダ社会は知っているようでした。

Q:博士課程の途中で留学されたのですか?

A:そうです。不得意だった語学力や留学資金の問題などありましたが、少しずつ解決していきながら、歩みを進めることが出来ました。そして、2005年にオランダに渡り、環境影響評価関係を専門とするインダストリアル・エコロジーを専攻して、バイオ燃料の持続可能性評価に関する研究論文をまとめ、マスターオブサイエンスを取得しました。しばらくオランダに残って研究補助を行い、09年1月に帰国しました。これまでの2つの修士で得た事は、博士論文をまとめていく際の基盤になり、09年の9月に博士号を取得しました。


Q:それから日本で就職活動を?

A:就職活動は帰国前から行っておりまして、09年の4月に産総研に入りました。東アジアにおけるバイオ燃料事業の拡大が期待されていたため、持続可能性も含めて環境評価を行って政策提案に繋げる研究プロジェクトに参加しました。キャッサバやタロイモ、ココナッツといった地域の農産物をバイオ燃料として利用する際の二酸化炭素排出量をライフサイクルアセスメントで評価すると共に、地域の雇用創出といった社会や経済の視点も含めて総合評価を行うものです。

就職活動の時はいろいろと悩みましたが、産総研へ入った決断の一つは、企業OJTを含む産総研のプロジェクト(支援機関:産総研記事参照)に魅力を感じたことでした。特に企業OJTの仕組みはヨーロッパでは研究機関や民間企業にありますが、日本では珍しいですよね。とてもいい制度だと思います。

人との繋がりを大切にし、自己アピールを絶やさなければ、道は拓ける

Q:就職活動はどう取り組まれましたか?

A:学生時代に大学や学会でお会いした方にメールを出したんですね。それに回答していただけた方に連絡を取って、そこから繋いでいただけました。採用に繋がらなかったことも多々ありましたが、皆さんに応援して頂いたことや、日本の企業や研究機関の状況を生の声から聞くことが出来たので、たくさんのご縁に感謝しています。


株式会社富士通研究所 ソーシャルイノベーション研究所 研究員 永野友子 氏 博士(環境科学)

Q:富士通研究所にはどういう経緯で入られたのですか。

A:産総研から企業OJTに2社行き、そのうち1社が富士通の環境本部でした。学生時代にお会いした方が、そちらで環境関連のお仕事をされていたのでOJTの受け入れをお願いしました。

その時の私の課題は、エコラベルについての富士通の取り組みをヨーロッパやアメリカの企業と比べてどうなのかといったことを比較分析することでした。

約2カ月のOJTの後、産総研に戻ってバイオマスのプロジェクトの報告書をまとめて、ある学会で発表する機会があったのですが、そこで、富士通研究所の方にご挨拶したことがきっかけで採用についてお声掛けを頂きました。多様な情報を俯瞰的に扱い、人の思いを繋ぐことが出来るICT(情報通信技術)に関心があったので、富士通研究所に決めました。そして、2011年の1月に入社しました。

Q:現在はどのようなお仕事を?

A:現在は持続可能な社会の構築のために、生態系や生物多様性の保全なども考慮した評価技術の研究に取組んでいます。身近なことから想像するとしたら、東南アジアで、下流地域の洪水による事業活動停止などの報道があったように、河川の上流部での森林地域の開発は、下流域の工業地域への被害をもたらすことが懸念されており、一側面からの考えだけではもう問題は解決できなくなってきたと感じています。

例えば、森林は、二酸化炭素を吸収する力があることは知られていますが、その他にも土砂崩壊を食い止めること、水を浄化すること、生物の生息地など生態系や生物多様性保全の重要な役割があります。しかし、定量的に見えにくいから軽視されがちです。このように見えにくいが、重要である視点を含めて考えないと正しい答えは導けない。その指標作りを担当しています。


富士通グループ 社会・環境報告書

Q:これから社会に出ようという博士人材にアドバイスをください。

A:決められた道は無いので、自分で扉を叩いて自分の道を切り開いてほしいと思います。 博士号を取得しても、その先に何か用意されているものではないと思います。ただ社会人としての入場の片道切符を貰ったという感じでしょうか。ここがスタートラインで、あとは好きな所に行けと。

私は、遠回りをしましたが、父の答えを考える期間だったと思います。日本の大学院生は専門を決めたらそこを深堀りする意識が強いですが、社会はどんどん多様化しているし、一側面の学問だけでは解決出来なくなってきている問題が多い。特に、環境というような社会課題を対象とする領域では、“たこ壺からササラ型”への視点が重要になると、学部生の時に恩師に教わりました。今やっとそのことが分かってきました。研究者として専門分野の成果を論文として社会へ出すことは、第一の目標だと思いますが、それはアカデミア以外の民間企業、国や地方の行政機関、そしてNGOなどでも実現できる社会になってきています。 実際に企業で働いていると、自分の独自性や、海外とのプロジェクト推進など、これまで苦労してきたことが今少しずつ活きていると感じます。ビジネスに関する能力などは、入社後に鍛える機会を活用しています。

さらに、女性の待遇について付け加えますと、出産を終えて復帰して育児をしながら40代、50代でも現役で活躍されている先輩も身近にいるので、女性にとって働きやすい制度や環境が企業では先進的に整っていると感じています。

最後に、私は、研究者として、社会人として、まだまだ未熟なところが多いと認識しているのですが、研究成果を人のために形にして世に出していくというモチベーションを持つ企業の中で働くことは、とても面白く、充実した日々を過ごしています。今は失敗しても、将来良い経験になると思って、あきらめずにいろんな扉を叩いて道を探ってほしいです。 扉はきっと開かれると思います。

取材2014年7月