アカデミアではバイオロジーの研究に没頭していた

Q:アカデミアではどのような研究をされていたのでしょうか。

小林:私は東京大学大学院でタンパク質の構造解析の研究を行い、2006年に博士号を取得しました。論文テーマは遺伝暗号拡張の構造的基盤についてです。DNAにはタンパク質の設計書がコードされているのですが、その設計書からタンパク質を作り上げるルールが遺伝暗号であり、その遺伝暗号のルールを形成する酵素の構造解析をしていました。

博士号取得後の06年4月に理化学研究所に移り、基礎科学特別研究員を09年3月まで3年間勤め、その後7月まで在籍しました。理研では大学院時代の研究を発展させ、遺伝暗号を改変して新しい機能を作る研究をしていました。遺伝暗号を人工的に書き換えることができたら、地球上に存在しないような生物を作ることができます。将来は創薬や医療に役立てる目的で、そうした研究を行っていました。

八ッ橋:私の経歴はとても珍しいと思うのですが、外国語学部を卒業して、大学で秘書として仕事をしていた時、先生が「実験する人手が足りないのでやってみないか」と言ってくれたのが始まりです。私も子供の頃から生物に興味があり、是非ということで秘書業務をしながら助手をすることになりました。その後、学外研究員として肝疾患を発症させたモデル動物にターゲットとした薬を投与して、症状が軽減されるかといった病態変化やメカニズムの検証を行いました。実験がとても面白くて研究に没頭していたら、先生が「そんなに面白いんだったら、大学院にいかないか」と薦めてくださったのです。私もその気になり修士課程に進学しました。

Q:そのまま博士課程に行かれたのですか。

八ッ橋:修士を修了した後、博士課程に進みました。大学院のテーマは発生の研究でした。生物は受精卵からはじまって細胞分裂を繰り返してだんだんと心臓などの器官を構築していくのですが、その最初の受精卵の段階で、心臓の元となる部分はどこの領域から、どのような組織間の相互作用を受けて起こってくるのかという研究を、ニワトリの受精卵を使って行っていました。初期発生の分子メカニズムを解明することが出来れば、再生医療にも応用することが出来るため、将来の医療に役立てる目的でそのような研究を行っていました。

その時は、有難いことに日本学術振興会の特別研究員に採用して頂いたので、充実した環境で研究を行うことが出来ました。


江崎グリコ株式会社 健康科学研究所 小林隆嗣 氏 博士(理学) / 八ッ橋宏子 氏 博士(医学)

インターンシッププログラムに参加

Q:博士課程を終えて江崎グリコに?

八ッ橋:博士課程の途中で結婚し、修了する少し前に子どもを授かりまして、一旦研究を離れてしばらく専業主婦をしていました。子どもが保育園に入って少し余裕が出来たので働こうと思いました。高度人材育成プログラムの博士研究員の募集があると聞き、応募したら採用していただいたので、2011年4月に博士研究員として研究を再開しました。その在任中にインターンシップ制度で江崎グリコに来たのです。


Q:小林さんは理研からどういう経緯でこちらに入社されたのでしょうか。

小林:理研の3年間である程度研究成果もまとまって、この先を考えた時に、もう少し人に知って貰える研究がしたいと思うようになりました。研究機関にいると社会との交流がなかなかないですし、論文は発表しても、それを引用してくれる人は数多くはいないじゃないですか。それより、民間でものづくりをしたほうが世の中の役に立ちそうだと思ったわけです。

就職活動を始めて、理研のキャリアの相談窓口に行ったら、東京工業大学にポスドクのキャリア支援の講座があると紹介され、そのプログラム中で6ヶ月間のインターンシップの制度があり、いくつか紹介された中に江崎グリコがありました。


江崎グリコ株式会社 健康科学研究所 小林隆嗣 氏 博士(理学) / 八ッ橋宏子 氏 博士(医学)

Q:なぜ江崎グリコを選んだのですか。

小林:私のようなバイオ系博士の就職先は製薬か食品が一般的ですが、私は食品に行きたかった。食品は広く一般の人に喜んでもらうというか、ほっと一息ついてもらうような、そういう貢献の仕方がいいなと思ったんですね。


Q:グリコの研究開発内容について知っていましたか?

小林:私は大学の時にSPring-8でタンパク質のX線結晶構造解析をしていたのですが、実はその隣でグリコが研究をしていたわけです。それを知ってかなり親近感を覚えたのと、研究に相当な力を入れている会社だと知りました。SPring-8は非常に大掛かりな施設なので営利目的で使用するとかなりお金もかかりますので。

そしてインターンでグリコに入って、私が担当した仕事のひとつがそのSPring-8での研究だったのです。

Q:どのような研究を?

小林:歯の研究です。初期のむし歯は外から穴が開くのではなく、その前にカルシウムが失われて歯の内部がスカスカになります(脱灰)。そこにカルシウムの素材を与えると、カルシウムイオンが歯に浸透してまた歯が元に戻る現象がある。これを歯の再石灰化といいます。当社は現在、この再石灰化を補助するガム(特定保健用食品)を販売しています。

ただし、普通の健康な歯は結晶が揃っているのですが、再石灰化した歯は元のきれいな結晶が出来るのかが疑問でした。私達がしていたのはそれを観察するための研究です。

ウシの歯を薄い切片にし、人工的なむし歯を作らせたところにカルシウム素材を作用させて再石灰化を行わせます。その歯をさらに薄くスライスして、表面からむし歯が出来ている内部へと順番にSPring-8のX線を当てます。髪の毛の20分の1ぐらいの凄く細いビームです。それでそれぞれの点の結晶の量を測るのです。


Q:お菓子のメーカーがそこまで研究をするとは、正直意外です。

小林:そうですね。普通だと歯の臨床試験をして、再石灰化しましたという成果を出して終わりだと思います。その再石灰化がどのような状態なのかまで研究するのは、江崎グリコならではでしょうね。もともとこの健康科学研究所は糖の研究からスタートしているのですが、糖質の研究では世界でも大学機関含めても非常に優れた研究成果を出している所なのです。

もともと江崎グリコという会社は、創業者の江崎利一が牡蠣の煮汁からグリコーゲンを見つけ、それが滋養強壮になると知り、一度は薬にしようと考えたのですが、それよりも子どもに飲ませて栄養をつけさせたいと、キャラメルに入れて販売したのが始まりなのです。“おいしさと健康”が当社のテーマですが、健康に対する意識の高さは他のメーカーとは一線を画すのではないでしょうか。


Q:八ッ橋さんはどうして江崎グリコのインターンに?

八ッ橋:私が博士研究員として採用された人材育成プログラムでは、採用1年以内にインターンシップに行くことが決まっていました。

私のインターン期間は3ヶ月でしたが、幸運なことに自分の希望したテーマの研究を行うことが出来ました。グリコといえばグリコーゲンですが、グリコーゲンが体内で一番多く含まれるのは肝臓です。肝臓の研究については経験がありましたので、ラットにターゲットとした食品を投与してグリコーゲン量の測定や病態の変化を観察しました。インターンであっても概ね自分の希望通りの実験をさせていただいたグリコには、懐の大きさと技術力の高さを感じました。

インターンから就職に繋げたければ、自分の本気と能力を出すこと

Q:そこからすんなり就職できたのですか?

八ッ橋:いえ、私はインターンから採用されるとは思っていませんでした。ただ、だからといっていい加減な仕事をしたくないですし、とりあえず3ヶ月以内に何らかの結果を出して、自分で論文でも投稿しようかなというぐらいの意気込みでやったんです。そうやって頑張っている姿を評価してくれたのか、インターンが終わる前に採用試験を受けてみないかと声をかけて頂き、試験を受けた結果、採用して頂きました。


Q:小林さんの時もそのような感じだったのですか。

小林:私の場合も、あくまでインターンなので、やはり就職できる保証はありませんでした。だからリスクはありましたね。東工大のプログラムではインターンが終わった時点で東工大も辞めることになるので、その先は無職ですから。インターン4ヶ月目ぐらいに、もしよければ採用試験を受けてみないかと声がかかったのです。助かりました。

八ッ橋さんも苦労されていたと思いますが、3ヶ月の働きを評価されて採用になったわけです。やはり人を何ヶ月か預かる会社というのはそれなりに覚悟があると思いますので、そのなかできちっと働く能力を見せられたら、就職の可能性は生まれてくると思います。

八ッ橋:そういえば、上司に「何が決定打となって採用して頂けたのですか?」と聞いてみたことがあります。そうしたら、「半分ぐらいはキャラクターや」と。冗談かどうか分かりませんが私は積極的に皆さんと話をしていったので、それが良かったのかもしれません。博士課程を修了していれば技術的な点はそれぞれ持っていてさほど大差ないと思うので、採用担当者は人柄も見ているのでしょう。


Q:インターンの後はどのような研究を?

小林:数年間ほど歯の研究を続けていますが、さらに、他の人がやっていた研究を引き継いで、今は舌のケアに関する研究もしています。酵素で舌汚れを分解しながらこすり落とすことで口臭を減らす商品を販売していますが、その分野です。

八ッ橋:私はグリコーゲンに関する研究をしています。当社は最近、新しい化粧品を発売したのですが、そこに独自開発のグリコーゲンが入っており、私はその研究に携わっています。皮膚内にはセラミドなどといった保湿や皮膚バリアに関わる物質があるのですが、肌の細胞をグリコーゲンで刺激すると、細胞のセラミド合成が高まるのです。


江崎グリコ株式会社 健康科学研究所 小林隆嗣 氏 博士(理学) / 八ッ橋宏子 氏 博士(医学)

Q:これから就職を考えている博士にアドバイスをお願いします。

小林:私が転職活動中にもらったアドバイスでなるほどと思ったのが、「自分の好きと得意を比べて、好きよりも得意を生かせる仕事を見つけるほうがいい」というアドバイスですね。好きか嫌いかはその時々で変わっていくものですが、得意なものはずっと得意だから。自分の分野にこだわるとなかなか就職はうまくいかないですが、将来を見据えて自分の得意が後でどう活きるのかを考えると視野が広がるので、思い切りがよく就活ができるかなと思いますね。

インターンシップ中はやはり正社員と比べてアクセスできる情報も制限されますし、基本的には定時で帰るように言われるでしょうが、そのなかでいかに自分の得意なことをアピールするが大切ですよね。私は論文を書くのが得意なので、それがアピールできるように、回ってくる他の人の論文の添削を、積極的にしましたね。

それ以外にも他の人の仕事を積極的に手伝いました。大学の研究は基本的に個人プレーで、他人に手伝われるのを嫌がる人なんかもいて、自分から声をかけて手伝うというのはあまりしないと思いますが、企業はチームで研究しますので、チームワークが大事です。自分が得意な分野で他人の糧になるところはないか、見つけてやってみるといいと思います。「この人とは一緒に働ける」と思われると、採用に近づくと思います。

八ッ橋:いろいろと就職活動をする中で、自分に合っているとか、合っていないとか、好きとか嫌いとか出てくると思います。しかし、入ってみないとわからないことは多いので、インターンのチャンスがあったらぜひ参加して欲しいですね。

大学院生の就職活動をずっと見てきた大学教授が、「合っているか、合っていないかっていうのは企業や上司が判断するもので、自分で判断することではない。それよりも今現在置かれている状況を、どんな状況であっても、精一杯100%以上の力を出すのが一番大事なんじゃないか」とおっしゃっていました。確かにその通りだなと思います。悩んでいるより入ってみて、そこで精一杯頑張ったら、次のものが見えてくると思います。

取材2014年8月