I-ROI(インターネットコンテンツ審査監視機構)理事 齋藤長行 氏 博士(メディアデザイン学)

経済学を学ぶうちに、社会問題に真剣に取り組みたくなった

Q:メディアデザイン学の博士号を取得されていますが、どのような経緯でその道に進まれたのでしょうか。

A:私は高校を卒業してすぐ就職し、ミュージシャンをしていました。28歳でPOPミュージックの音楽教室をオープンすることを決め、経営の勉強をしようと1995年に慶應義塾大学通信教育課程の経済学部に入学したのです。

大人になってから目的を持って勉強するのは楽しかったのですが、大変でしたね。真面目に毎日勉強して、卒業まで7年半かかりました。当時eラーニングなどはまだなくて、独自に指定の教科書を読んで勉強し、自力で試験をパスしなくてはなりませんでした。ほとんどの人が途中で続かなくなってしまうので、慶應の通信の経済学部を卒業できるのは3%程度らしいです。根気強く辛抱して学ぶという礎は、そこで身についたと思います。ちなみに音楽教室はもう知人に譲りました。

学部を卒業して中央大学大学院の経済学研究科に2004年に入りました。通信教育はもう嫌だったので、一般の修士課程です。テーマはインターネット経済。当時噴出していたインターネットの様々な問題に興味を持つようになり、もう少し勉強したくなったのです。2006年に修士を取り、2008年に博士課程に入りました。

当時から、佐世保の小学6年生同級生殺害事件や、出会い系サイトを通じた性犯罪、掲示板でのいじめ、自殺など、子どもに関連するインターネットのコミュニケーショントラブルが多発していました。私が博士課程に入った頃は、自民党が学校での携帯電話所持の原則禁止とする法律を作ろうとしていました。一方で、民主党は子どもの権利の保護と産業界の発展を考えて、それは行き過ぎだと反論するなど、非常に揺れていた頃です。民主党は、民間の自主規制を重んじつつ政府がそれを支える枠組みをベースにする法案を提出し、それが2009年に青少年インターネット環境整備法になりました。

Q:博士課程に進んでなにか変化はありましたか?

A:修士課程ではインターネット問題について机上で勉強している感じでしたが、博士課程ではフィールドに出て現場のさまざまな問題に触れるようになりました。指導教官が元官僚の方だったので、社会との繋がりが深かったのです。教官に同席したり、紹介していただいたりして、民間の協議会や省庁との会合などに参加するようになりました。

そこでマインドチェンジが起きました。それまで私は机上で学術的に社会問題を考えていたわけですが、フィールドで出会うのはその社会問題について本当に解決しようと真剣に現場で考えて糸口を探している人達です。私も机上の空論を振りかざすのではなく、現実に社会問題を解決する方法を学術的に意味付けしたいと思うようになったのです。


I-ROI(インターネットコンテンツ審査監視機構)理事 齋藤長行 氏 博士(メディアデザイン学)

青少年インターネット問題の国際的枠組みを作る仕事に携わる

Q:その後の活動はどうなされていますか。

A:現在は、青少年保護に向けてインターネットコンテンツの健全性を認定するI-ROI(インターネットコンテンツ審査監視機構)理事、総務省情報通信政策研究所の特別主任研究員に就任するとともに、国立国会図書館非常勤調査員、青山学院大学ヒューマン・イノベーション研究センター客員研究員・非常勤講師などを歴任いたしました。I-ROIは博士課程の時からお手伝いをしていて、2014年3月に博士号を取った後で、理事になりました。

2012年から13年までOECD(経済協力開発機構)に所属し、国際的な青少年保護の問題に取り組みました。半年間はフランスにも赴任しました。青少年のインターネット問題は、当然日本だけではありません。日本人は言葉の壁が大きいのでインターネット問題も日本国内で閉じているのですが、国際言語である英語圏ではインターネット問題もグローバルに広がっています。国際的に対処するためには国際的な枠組みで取り組まなければなりません。そのための国際的な議論の場としてOECDが主体となって行っています。

Q:齋藤さんはそこでどのような役割を?

A:まずは実態を把握することです。国際的にも日本においても十分な調査ができていない。そこで日本の総務省は、OECDと連携して青少年のインターネットリスクに対する対処能力の測定を試みたのです。先進国中でも日本が先行して青少年のインターネット問題が表面化していましたし、スマートフォンの普及率も高いですからね。世界各国も日本の例を知りたいのです。

それまで各省庁においても、インターネットに関する利用実態調査が行われてきましたが、それだけでは子どもたちがインターネット犯罪やリスクに対してどれだけの知識を持っているかわかりませんでした。そこで「インターネットリテラシー指標」の開発が試みられたのです。

アンケート調査で、インターネット上のさまざまなリスクに対する知識量と対処能力を測ります。それと先ほどの利用実態調査をクロス分析すると、「こうした属性の子どもはこうしたインターネットリスクに遭う傾向がある」、「こういう使い方をしている子どもはこういうリテラシーを持っている」といった関係が見えてきます。

私達が開発した指標をOECDの国際会議で2回、報告を行ないました。調査は今も継続しており、今後OECDの枠組みで世界的な調査を行っていくと思います。

産官学が協力して環境整備に取り組む必要がある

Q:やはりスマートフォンの普及で変化は大きいのでしょうか。

A:青少年インターネット環境整備法の取り組みによって、ある程度リテラシー教育が普及し保護体制が社会的に整いつつあったものを、スマートフォンがすべて打ち破りましたね。Wi-Fi経由でインターネットに繋がるので、フィーチャーフォンで通用した3G回線向けフィルタリングではカバーしきれなくなってしまいました。さらに、使用者がフィーチャーフォンよりもネットにのめり込むようになりました。大人でも熱中して電車の中でも、歩きながらでもやっているスマートフォンを子どもが自ら自制的に利用することが難しい。

スマホに対する対策は少しずつ取り始められていますが、まだまだ行き届いていません。さらに、今はスマホを持たせていなくても、ゲーム機や音楽プレイヤーでもネットに繋がり、やはり問題が起きています。その対策はまったく追いついていないのが現状です。技術、社会ルール、リテラシー、全部ひっくるめて、取り組んでいかないといけません。

Q:9月より民間の研究所にお勤めになるそうですね。

A:はい。ネットいじめに関する研究を行ないます。やはり民間の研究所には社会に直結したプロジェクトが行われていたり、多様な情報が集積されていますので、それらを活用して研究を続ければ新しい解決方法が生まれる可能性があると思うのです。I-ROIの理事は兼任していきますので、民間セクターと政府セクターとを繋ぎながら、解決の筋道を立てていきたいですね。

最先端のフィールドでの活動が、自分の実力と実績として残る

I-ROI(インターネットコンテンツ審査監視機構)理事 齋藤長行 氏 博士(メディアデザイン学)

Q:就職に博士号は意味があったと思いますか?

A:それはもちろんですが、博士号を持っていることよりは、私自身が青少年保護の研究をずっと続けてきた業績が認められたことと、フィールドワークで出来た人的な繋がりも生きたと思います。また博士号を取ったという経験が、仕事をする上で活きているように思います。いろんな物事を整序立てて考えて、どう解決の筋道を立てるか、どこに落とし所を見つけるか、どうやって社会的な意味付けを付けるか、といったところまで導ける能力がついたように思います。

Q:博士人材にアドバイスをください。

A:自分の居場所を大学に限ってしまうと、やはりポジションを得ていくことは難しい。1つのポジションに50人や60人と集まるなかで、2番手では採用されないわけですから。上に行けば行くほど、爆発的な業績を持っていない限りポジションは取れません。特に国立は業績評価をしますから。ならばその業績を得るための手段として、民間に出るということを考えても良いのではないでしょうか。民間に行くのは片道通行ではありません。学位を取ってから民間の研究所に行き、実績を積んで大学に教授で戻られる方は結構いらっしゃいますよね。私自身民間で業績を重ねて、いずれアカデミアに戻ることを目指しています。

民間の研究所は、最先端のビジネスで非常に重要なところを研究しています。私の分野で言えば、大学よりも民間の方がフィールドで起きている最先端の問題点が見えてきます。その問題を研究し、解決のために働き、それを論文にまとめていけば、大学にいるよりも優れた論文が書けると思います。おそらく、回り道するほど経験と実力はつくのではないでしょうか。そして、後で業績としてついてくる。その業績を評価して大学が迎え入れてくれる可能性はあると思います。これから民間で苦労することは、後の自分に生かされることなので、やり続けることが大事ではないでしょうか。

取材2014年7月