東レ株式会社 先端融合研究所 癌免疫治療グループ 栗原祥 氏 博士(生命科学)

最新の研究テーマと、より高みを目指し、大学院を選択

Q:博士となるに至る道について教えてください。

A:かねてより環境問題に関心があった私は、東京薬科大学の生命科学部環境生命科学科(現応用生命科学科)に入学し、環境問題について学んでいました。しかし名前の通り薬学部の強い大学であり、学部共通の授業も多かったためか、次第に生物の病気について興味を持つようになりました。なかでもより強く関心を持ったのは癌です。

癌が発生する原因の1つは、細胞が自ら死ぬ現象であるアポトーシス(プログラムされた死)が、異常をきたすことによると言われています。生命の体内では細胞の癌化は常に発生するが、その殆どはアポトーシスによって自死を選ぶ。しかし、アポトーシスが正常に機能しないと癌細胞が死なずに増殖し、腫瘍化するのです。

そのアポトーシスを正常に機能させ、癌を抑制するための重要な遺伝子として、当時p53という遺伝子が脚光を浴びていました。DNAマイクロアレイ(遺伝子のDNA配列を検出する基盤)もでき始め、p53について世界中で盛んに研究がされていました。私もそのような癌抑制遺伝子の研究がしたくなり、東北大学大学院を受験し、2002年に進学しました。


Q:なぜ東北大学なのですか。

A:1998年に東北大学の生命科学研究科の先生によって、p53によく似たアミノ酸配列を持つ遺伝子、いわゆるファミリー遺伝子が発見されました。p63とp73という2つの遺伝子です。より新しい遺伝子の研究に関わるということに魅力を感じたのです。

東北大学は研究費も大きく、環境も整っているので、大学院に入ってじっくり研究するのに適しているだろうという思いもありました。

Q:大学院ではどのような研究を?

A:修士課程と博士課程の5年間を通じて、私は主にp53遺伝子ファミリーが細胞内で何をしているのかという機能解析を行いました。そしてp63とp73がないとp53がアポトーシスに誘導できないということが分かりました。また、p53は老化も誘導するタンパク質なのですが、p63とp73はアポトーシスを助けても、老化は助けないことも明らかになりました。


Q:修士課程を終えた時、就職ではなく博士課程を選んだ理由は何ですか?

A:非常に単純ですが、修士で研究成果が上手く出ていたので、研究を進めれば色々と発見できそうだったのです。それに当時はアカデミアに残りたいという思いが第一にあり、企業への就職という選択肢はありませんでした。狭い範囲に絞り込んで追究するということが私は楽しいんですよね。

友達には反対されたり、「何も考えてないな」って言われたりしましたが、その通りで、アカデミアに残ること以外に何も考えていませんでした。

「自分が楽しい研究」よりも、「自分が実現したいこと」を仕事に

Q:それがなぜ、企業に就職することにしたのですか。

A:博士課程の1年の時、癌を研究する若手を集めた三泊四日のワークショップに参加しました。そこには私のように遺伝子の機能解析をしている者だけでなく、癌にまつわる様々な研究をしている人がいました。

癌の免疫治療を研究している人達もいましたし、癌細胞で異常があったタンパク質を質量分析などで同定する作業をしている人達もいましたし、DNAマイクロアレイを使い、患者の検体から癌の原因になるような遺伝子をもっと探そうという人達もいましたし、あるいは、コンピューターを使って癌発生の予測をしようとする人達もいました。癌に対する研究のアプローチはたくさんあり、世界観がみんな違うのです。

そうした研究の発表を聞いたり、飲み会で意見交換をしたりするうちに、「あれ、これまで自分がやってきたことは本当に自分がやりたいことだったのか」と疑問が湧きました。その頃の私は、ただ単純に研究していること自体が楽しかった。「この遺伝子面白いな」とか、自分の興味で研究していた。でもさまざまな分野で癌の研究をしている人達の話を聞いて、「そういえば僕は癌の治療がしたかったんだよな」と思い出したのです。それから癌の治療薬の研究開発に関わりたいと思い、企業への就職を意識しました。


Q:機能解析から癌の治療薬開発に結びつけられないのですか。

A:p53遺伝子ファミリーをこのまま一生研究したとして、メカニズムの全てが分かるのはおそらく無理でしたし、今は政府が支援をする制度もできているので違っているかもしれませんが、当時は大学で薬を作るということ自体、できませんでした。そもそも、創薬はいろいろなスキルや知識を持った人が協力して初めてできるもので、少額の予算で一人の研究者が研究室で作れるようなものではありません。

同時に、システムバイオロジー分野においてコンピューターで大規模に予測したり、細胞をいちから作る試みなど、生物から少し離れた分野もいいなと思っていました。当時の私の自分の中の言葉は「脱バイオロジー」でした。

東レ株式会社 先端融合研究所 癌免疫治療グループ 栗原祥 氏 博士(生命科学)

Q:就職活動はいかがでしたか。

エントリーシートは製薬会社、食品、化粧品など可能性がありそうな企業に出しました。しかし書類審査でほとんど落ちましたね。書類審査を通って面接まで進んだのが5社。最初の3社は面接で落とされ、内定を頂いたのは、当社と中堅の製薬会社の2社です。

反省点を挙げれば、最初の3社の面接で私は、自分の研究内容をすごく細かく一生懸命説明して、「この研究はここがすごいんです」というアピールばかりしたことですね。3社落ちてみて、「面接官が聞きたいのはこういう話ではないんじゃないか、専門能力だけでなく、私がどういう人間なのか、コミュニケーション力や対応力みたいなものも知りたいのではないか」と考え直しました。

そもそも私がやっていた研究の手法はかなり多くの人がやっている手法ですので、技術スキルそのものはあまりセールスポイントにならない。ですから、自分がこういう研究をしながら、分からない所は他の分野の先生に教えて貰ったとか、他の研究室に機材をお借りして実験したら新しい成果が出ましたなど、自分を出せるような話を盛り込みました。その結果、2社から内定を頂きました。

脱バイオロジーを実践する研究所に大きな魅力を感じた

東レ株式会社 先端融合研究所 癌免疫治療グループ 栗原祥 氏 博士(生命科学)

Q:東レを志望した理由は。

A:この先端融合研究所が2003年にできて4年目で新しかったこと、そして、「バイオロジーとナノテクノロジーなどを融合して新しいものを作る」というコンセプトに惹かれました。まさに脱バイオロジーで、癌の免疫治療薬の開発も行っている。私が知る限りそんな研究所は他にありません。


Q:東レに入社してからどのような仕事を?

A:癌の免疫治療薬の開発を行っています。免疫治療薬は乳癌の治療薬であるハーセプチンや、リンパ腫の治療薬であるリツキサンなどの抗体薬が有名です。また自分の中の免疫力を高めて癌をやっつけようという癌ワクチンも対象です。

現在私たちは、ある種類の癌における新しいターゲットを発見することに成功し、それに対する全く新しい治療薬を開発しているところです。

Q:博士号を持っていることのメリットを感じますか。

A:外国人とやりとりをする際に、博士と修士が一緒に行ったときに対応が全然違うというのは感じます。質疑応答でも皆さん博士に向かって喋られますね。

当社は海外留学の制度があり、社内で一定の実績をあげた若手研究者は、研究所からの推薦は必要ですが、高い確率で行くことができます。博士のみ利用できる制度ではありませんが、バイオの分野では受け入れ機関がおよそ医学系になりますから、博士号がないとなかなか受け入れてもらえないという現状があります。私はまだ行けていませんが、もう少し英語力を上げて、ぜひ挑戦したいと思います。

また、若くてもプロジェクトの中の重要な役割を任せてもらえていると感じます。この研究所は6割ぐらいが博士ですが、皆即戦力として活躍しています。


Q:社会に出ようとしている博士人材にアドバイスをお願いします。

A:博士になる以上、中途半端でなくとことんやり切る事が大切だと思います。自分が本当にやりたいことを研究テーマにして欲しい。企業に入ることを目的に流行りの研究テーマを選ぶのは結果的によくないと思います。私もじつは就職活動を考えて違う領域の教授に相談に行ったことがあります。しかし、先生は私に「博士課程でわき目も振らずやっていくことが、研究室の強みを吸収できる唯一の機会。絶対に今後の強みになるからやりきった方がいい」と言っていただきました。その結果、今の私があります。その強みをベースに、自分はこれから何をやっていきたいのか、改めて考えるのが良いと思います。

企業のなかでは、自分の狭い専門分野だけでやれることなどたかが知れています。しっかり勉強して専門を突き詰めていくことも重要ですが、いろんな人と一緒に研究を進めていくなかで、自分が強いところでは助言して、弱いところは助言を貰いながら、能力を出し合って開発できるバランス感覚が重要だと思います。

取材2014年7月