国立研究開発法人 産業技術総合研究所 工学計測標準研究部門 主任研究員 鍜島麻理子 氏 博士 (工学)

大学院での研究で培ったレーザー計測技術を活かせる産総研に応募

Q:計測標準というあまり聞いたことがない分野の研究をされていますが、どのような経緯でこの分野の研究者となったのでしょうか。

A:大学院では工学部物理工学科に所属し、一般相対性理論によって予言された重力波という現象を地球上で捉える検出器の、雑音低減を研究していました。重力波は信号が非常に小さいために、検出には雑音の究極的な低減が必要です。私は雑音の一種である機械熱振動を、真空レーザー干渉計を使って検出する研究をしていました。特殊な研究でしたので、博士課程に進む際に指導教官から「就職先の紹介は出来ないから自分で探して欲しい」と言われていました。しかし、就職活動を考え始めた頃、産総研の計測標準研究部門(当時)で研究者を募集しており、指導教官から応募を勧められました。

計測標準は物理量を精密に計測する分野で、このときは長さの精密計測での募集でした。長さの精密計測にはレーザー計測を使います。大学院の頃の研究と、対象はまったく違うものの、計測手段がマッチしていました。また、計測標準は当時研究している大学がほとんどなかったため、異分野から専門を変えて応募することに寛容な姿勢で募集していたようです。さらに、私は学会では計測標準研究部門の方々と同じ、レーザー計測の分野で発表していたため、計測標準の仕事の内容に少し馴染みがありました。大学での研究は大きく言えば宇宙物理学で、直接人々の役に立たないことにもどかしさを感じていました。産総研の仕事はその成果を産業界へ還元していくものなので、人々の役に立ちたいという私の希望に合うものでした。そんなわけで、就職面接での私のアピールポイントは大学院での研究実績と産業界に役立つ仕事をしたいという意欲の2点でした。こうして産総研に応募し、入所することが出来ました。ラッキーだったと思っています。

Q:産総研は就職が難しいと言われているようですが、実感としてどうでしょうか。

A:一部の大学のポストに比較すれば、就職は昔ほど難しくないと思います。ただし、産総研の使命は産業界に役立つ研究ですので、必ずしも大学等でやってきた研究をそのまま続けられるわけではないと思います。自分の専門分野を変えて、期待される分野に挑戦する決断が必要になることもあると思います。研究で社会の役に立ちたいと考えている方も多いと思いますので、ぜひチャレンジして下さい。


国立研究開発法人 産業技術総合研究所 工学計測標準研究部門 主任研究員 鍜島麻理子 氏 博士 (工学)
二次元グリッド測定装置で実験中の鍜島氏

高精度な計測標準技術で産業界を基礎から支える

Q:採用の際に大学院での専門が評価されたということですが、現在の仕事に活かされているのでしょうか。

A:大学院時代に研究した、レーザー干渉計の測定技術はそのまま役に立っています。ただ、研究の内容自体は物理学から工学に変わったというのが私の感覚です。

私が研究している計測標準は、高精度な計測技術について研究し、それを産業界で計測器の正しさを評価するための基準の値である、“標準”にして還元する分野です。私は長さの計測、特に二次元グリッドプレートというものの高精度測定を担当しています。二次元グリッドプレートは、ガラスプレートに二次元状の目盛マークが付いた二次元ものさしで、非接触・光学式の三次元測定機である画像測定機の校正に使われます。この校正により、画像測定機を正確な値を測定出来る状態にすることが出来ます。校正された画像測定機は、液晶パネルや有機ELディスプレイの開発・製造や、MEMSデバイスや微細部品等の検査などに使われています。産総研での測定は、国家標準として、測定機の精度を決定するための評価の基準となる値を決めています。私は、大学院時代に身につけたレーザー干渉計の精度向上技術を生かし、二次元グリッドプレートの測定装置を開発し、高精度化を図りながら運用しています。

標準化をリード出来るか否かは、その国の産業の強さに影響します。日本は一部の分野については強いのですが、グリッドプレートでは世界トップのドイツやアメリカに遅れています。今後の研究で追いついていきたいと思っています。


Q:大学での研究と産総研での研究には違いがあるのでしょうか。

A:大学での研究は論文を書くのが目的という一面があるため、実験などでとにかく良い値を出すことが求められます。一方で、産総研の計測標準研究部門で行っている研究は産業界の役に立つことが目的ですので、産業界で使えなければ意味がありません。このため、正確性、信頼性、利用しやすさが求められます。どちらかと言うと製品側に立った研究であり、いかに産業界の役に立てるかという出口を考えながら研究をしています。別の一面では、国を代表する研究機関の職員として海外の研究機関と関わっていくという役割があります。欧米の研究機関とは切磋琢磨して高精度な測定技術を作り、アジアの国々に対しては技術援助を行っています。

また、研究予算についてですが、産総研では大規模研究所の特徴を活かした分野横断的な提案を作るなどの工夫により、NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)などの大型資金も獲得しやすい環境にあると思います。

Q:現在の仕事で博士の価値を感じることはありますか。

A:国の代表として海外の研究者とやり取りをする際には、博士の学位が必要だと思います。海外では博士号があることが研究者とテクニカルスタッフを分ける境界になっていて、Ms.KajimaとDr.Kajimaでは相手の扱いが違います。国内でも名刺に博士と書いてあると「ああ博士ですか」と反応があることもあります。このため、産総研では博士号を持たない研究者に対しては、博士号を取るように推奨しています。


Q:後輩の研究者に何かアドバイスはありますか。

A:専門分野を変えることに消極的にならないで欲しいと思います。私の場合は、研究分野を物理学から工学に変えました。たまたま、大学院と同じようにレーザー計測を使っているだけです。面接時に「異なる分野に変わってもらうこともあります」と言われ、それを受け入れて就職出来たわけです。アカデミアに限って職を探している人も多いと思いますが、広く可能性を考えてみたらよいと思います。

博士の強みは、一つのことをやり遂げ形にする力があること、論理的思考に長けていることだと思います。そして、一つの研究課題について投げ出さずに研究し、研究発表や論文執筆の形に仕上げる力があります。この強みは、大学や研究所だけでなく、様々な場面で活かすことが出来ると思います。専門が変わったり、環境が変わったりしても、その強みを信じて、多くのことをやり遂げていけるのではないでしょうか。

ご主人と別居し、子育てしつつ仕事を継続する

Q:仕事も忙しく育児も大変だと思うのですが、両立についてどのように工夫をされていますか。

A:もともと私はつくば、夫は東京で働いていました。丁度、夫が東京から関西に転勤が決まったときに、結婚の話になりました。そのとき、私が仕事を辞め、博士号が活用出来なくてもよいので、一般の会社に就職しようかと考えました。しかし、夫が「関西の後どこに行くかも分からない。ついて来なくてもよいから仕事を続けてみたら」と言ってくれたので、別居婚を選択しました。結婚後は一ヶ月に一度は会い、メールなどで頻繁に連絡を取っていましたので、それほど不安はありませんでした。

その後、夫は埼玉に転勤したので、産総研のあるつくばと夫の勤務先の中間地点に引っ越すことも考えました。しかし、夫は研究一筋の人で夜が遅く、結局私が子育てをほとんど受け入れざるを得ない状況でした。そのため、私の職場の近くで子育てを続けることにし、同居はしませんでした。ただ、お互い近くに住むようになったので最近は週に一度は会っています。結局、結婚以来同居したのは私が育休を取った2年間だけでした。ただ、子どもたちには寂しい思いをさせていると思います。仕方なく別居しているわけで、お勧めはしません。


Q:育休が終わったあと、別居での子育ては大変ではなかったですか。

A:一人目のときはほぼ全て自分だけでやったので苦労しました。最近ではときどき平日に実家の母が来てくれるので楽になりました。出張、子どもの病気の際は実家の助けなしには対応出来ないと思います。住んでいる地域が、保育園の充実など子育て環境に恵まれているのも良かったです。また、研究所での研究職は仕事のスケジュールを自分で立てられるのも良い点でした。職場の環境も子育てに優しく、急な休みにも理解があったので助かりました。

私の場合は、夫と夫の家族の理解があり、夫からも夫の実家からも子育てのために「仕事を辞めて欲しい」とは言われませんでした。さらに、自分の両親の理解とサポートがありました。これにはとても感謝しています。ただ、夫は仕事一筋で、子育てには積極的ではなかったので、別居でよかったなと思うこともありました(笑)。さすがに最近では、自宅に帰ってくるたびに、家事や育児をしてくれるようになり、それで格段に楽になりました。

私の夫は育休を取らなかったのですが、産総研では男性研究者で「育休を取りたい」と言っている人は結構います。実際に育休を取る男性も少しずつ増えているようです。

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 工学計測標準研究部門 主任研究員 鍜島麻理子 氏 博士 (工学)

Q:子育てを考えている研究者にアドバイスをお願いします。

A:私は子どもが好きな方ではないと考えていました。別居であることもあり、産まれたらどうなるのだろうという不安がありました。しかし、生まれてみると子どもはかわいいもので、産んでよかったと思っています。その意味で、まさに「案ずるより産むが易し」でした。別居生活が長くてもやっていけるのは子どもがいたからだと思っています。

海外の女性研究者と話をすると、結婚を考えている男性の理解がなくて困ると言われることがあります。女性研究者が仕事を続ける難しさは、日本だけの事情ではないようです。子育て、家事は女性がするもの、という固定観念が男性からも女性からも薄れてくれるとよいと思います。 結婚、出産を経て研究を続けることは簡単ではありませんが、出来ないことではなくなってきています。多くの子育て経験のある研究者もいます。博士の粘り強さを発揮して、研究にも、子育てにも、チャレンジして欲しいと思います。

取材2015年12月