国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 主任研究員 岡田賢 氏 博士 (工学)

大学院で専門分野を金属から化学系に変更、博士課程の途中でも爆発分野に挑む

Q:大学はどのような研究をされていたのでしょうか。

A:子どもの頃から化学実験が好きで、小中学校では化学部でした。高校時代は周囲の人のレベルが高く化学部は辞めてしまいましたが、大学では工学部で有機合成をやろうと思っていました。そして、大学では材料系の学部に入って有機材料工学科を目指しました。ところが、部活に打ち込んでいたため成績が悪く、第3希望だった金属工学科になってしまいました。さらに、学部4年では、ジャンケンで負けてしまったために希望の研究室に入れませんでした。この結果、化学とは縁のない、耐熱鋼(次世代のジェットエンジンのタービンブレードへの応用)の動的特性を評価するクリープ試験を行うことになりました。時間がかかる実験で肌に合いませんでした。

修士課程では本来やりたいと思っていた化学系に転向したいと考えました。そして、安定同位体に興味があったのと、人気が無い原子力系で非競争領域のニッチな研究を進めるのも悪くないと考え、さまざまな元素の安定同位体の研究を行っていた原子力化学工学の研究室に入りました。この研究室で、化学交換法による窒素の同位体効果をテーマに研究を進めました。当時は、窒素の安定同位体である窒素15の高速増殖炉の窒化物燃料への展開が期待されていました。

博士課程ではスズの同位体効果に関する研究を始めました。しかし、実験がかなり難しく、研究は難航しました。そこで博士課程の最初の1年間は、1997年に起こった、動力炉・核燃料開発事業団(現・国立研究開発法人日本原子力研究開発機構)東海事業所アスファルト固化処理施設の爆発事故の原因を究明する研究を並行して進めることにしました。当時は、他にも1995年の高速増殖炉もんじゅ(動力炉・核燃料開発事業団)のナトリウム漏れ事故、1999年の株式会社ジェー・シー・オーの臨界事故と、原子力関連施設の事故が立て続けに発生していた時期でした。このため、指導教官の教授に爆発事故の原因を究明したいという熱意があったのです。この研究では、発火の際には煙が大量に出るので火災報知機を止めに行くような、今では考えられない実験を続けました。幸いにして、ある銀化合物が爆発原因である仮説を導き出すことが出来たので、爆発事故の原因究明の研究をメインテーマに研究を進めることにしました。これで投稿論文を提出することも出来て、就職活動を始めることが出来たわけです。

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 主任研究員 岡田賢 氏 博士 (工学)
爆発実験室での岡田氏

Q:爆発の研究では就職先が限られると思いますが。

A:爆発を極めるためには、消防庁の消防大学校消防研究センター、厚労省傘下の独立行政法人労働安全衛生総合研究所、経産省傘下の産総研の、施設が充実している3つの研究所しかないと思いました。大学という選択肢もあったのですが、大学の先生には家庭を顧みない印象が強くありました。また、私が人を教えるのが苦手だったことから、研究に専念できる研究公務員の方に憧れていました。3つの研究所の中で、希望する分野で任期付の正職員を唯一募集していた産総研に応募しました。見学の際に、担当課長には「別の候補者の採用が濃厚なので、ポジションはない」と言われました。しかし、別の方から「可能性はある」と言われたのであきらめず応募して、幸いにも入所することが出来ました。ただ、今になって思うと、もっと民間企業を訪問して民間の雰囲気、研究状況を見ておけば今の仕事に役立ったかなという気持ちはあります。

民間の爆発事故の原因究明という新しいビジネスモデルを産総研で実践

Q:産総研での仕事は期待通りだったのですか。

A:産総研に入って、爆発に関する知識と能力がまったく不足していたと感じました。大学院の研究室は爆発研究のプロ集団ではありませんでしたし、私の研究テーマは原子力関連施設の爆発事故の原因に特化したものでした。しかし、産総研ではさまざまな爆発安全に関する研究を行う必要に迫られました。最初の仕事では、レーザーで衝撃波を発生させるという特に難しい実験をしました。光学系の実験はまったくの素人なので、大変苦労しました。これを通じて、爆発は物理的な現象把握や高度な実験技術も必要な、とても奥が深いものだと分かりました。

ただ、私が大学院で取り組んできた爆発事故の原因の究明は、産総研の研究室では未踏の領域でした。この領域での研究を進め、日油株式会社の武豊工場爆発実験や、動力炉・核燃料事業団の人形峠事業所におけるイオン交換樹脂爆発事故の再現実験に取り組み、成果を出すことが出来ました。研究所が独立行政法人となり、外部機関(民間および行政)との受託・共同研究も奨励されるようになったため、爆発事故の原因究明の研究を数多く委託されるようになりました。委託研究では、爆発事故に関する文献調査、熱分析等で事故シナリオを特定し、再現実験に取り組み、新しいビジネスモデルを確立することが出来ました。我々のグループでは、最近10年で爆発事故の原因究明や爆発安全に関する受託・共同研究を100件以上実施しています。調査を依頼した会社には原因究明で喜んでいただき、事故原因の究明結果から特許取得、学会発表、論文発表などで研究成果を発信し、良い結果を出せば次の仕事が来るという良いサイクルになっています。このように、産業界に役立つ研究が出来るようになったことで、今は楽しく、伸び伸びと仕事をしています。

研究業務の他、研究所内の内部出向で、昨年1年間は環境・エネルギー分野企画室勤務となりました。ここでは、スーツを着て新人採用や任期付き職員のパーマネント化審査、研究企画の仕事を経験しました。研究の視野と人脈が広がり大変有意義な1年でしたが、やはり自分は作業着を着て現場で実験を進める方が合っているなと実感しました。

Q:大学での研究は役に立っているのでしょうか。

A:今思うと、嫌いだった学部での金属工学の勉強も意外と役に立っています。走査型電子顕微鏡、材料を磨くなどの実験処理、状態図の解読など基本的な技術が活きていますし、現象を広い観点で見ることが出来ます。また、修士のときは徹夜でよく研究していましたので、あの頃のことを思えば仕事に集中することも苦にはなりません。研究の幅を広げ、爆発安全の仕事が出来るようになったのは大学時代の経験も大きいと思っています。


Q:仕事を進める上で博士の価値をどのように感じていますか。

A:博士号は研究者としての前提ですから、研究で生きていくためには必須です。また、研究者にならなくても、博士号は無駄ではないと思います。博士号を取るために一つの研究テーマに集中し、人生を賭けて真剣勝負で研究し、期限内に成果を出して論文を書くという極限状態での研究活動を行う事は良い経験で、仕事をしていく上で役に立つと思います。そういう意味では、博士号という結果よりも博士号を取る過程が重要なのだと思います。

積極的に家事を分担し、子育てと仕事の両立を図る

Q:子育てに積極的と伺ったのですが。

A:小学校3年と5年の子どもがいます。妻は、フルタイムで宇宙関係の仕事をしており、3交代制で勤務することもあるほど忙しく働いています。このため、夫婦だけで子育てするには厳しい状況でした。しかし、両親が近くにいないため、2人だけで子育てをしています。身近に参考に出来る人もいなかったので、妻と協力して、掃除ロボット、食洗機などで家事の機械化を図る、宅配の生協に加入して買い物の手間を省く、料理は妻、後片付けは私という分担を決めるなど、色々な工夫をしました。料理の分担を妻としたのは、私が作ると仕事熱心な妻が早く帰って来ない懸念があったためです。どちらかが出張の場合は1週間まで1人で頑張り、それ以上の長い出張は上司に談判して短くしてもらいました。

今は子どもが小学生になったため大分楽になりましたが、保育園の頃は一番大変でした。保育園への送迎が大変だったので、当然妻と分担した上で、送迎時間に融通が利く私立の保育園にお世話になりました。病気の場合は保育園では預かってくれませんので、研究所内にあるプチチェリーという一時保育園を利用しました。体温が37.5度までは預かってくれるので、とても助かりました。もちろん、本格的な病気の場合は休む必要があります。こうしたときは、妻と協力してお互いに半休を取ることで切り抜けました。かかりつけの病院にも大変お世話になりました。矛盾するようですが、大変な時期が過ぎた今になって思えばそんなに大変ではなかったのかなという気もします。


Q:積極的に家事を分担して仕事に影響はなかったのでしょうか。

A:子どもがいることでメリハリをつけて仕事をするようになり、むしろ良い影響があったと思います。大学時代は、昼夜を問わず、ダラダラ研究をやっていました。研究が終わらなかったら研究室に泊まって研究を続けるという生活でした。就職しても同じような感じで仕事をしていましたが、子育てするようになって変わったわけです。子育てのため職場や同業者との懇親会への参加は、ゼロに近い時期もありましたが、最近は徐々に回復してきています。

国立研究開発法人 産業技術総合研究所 安全科学研究部門 主任研究員 岡田賢 氏 博士 (工学)

Q:これから子育てを控えている共働きの研究者にアドバイスをお願いします。

A:我々は頼れなかったのですが、やはり祖父母が身近にいると、保育園送迎、食事の準備、病気の際の対応など色々助けてもらえると聞きます。祖父母に頼れない場合は、①夫婦どちらかの職場の融通が利くこと、②職場と家庭が近いこと、③夫婦で家事分担に努めること等が共働きでの子育てには重要と思います。

子育てで大変なのは保育園の期間です。特に、病気の際などは大変でした。ですが、子どもも小学生にもなればほとんど病気もしなくなるので、小学校入学までの約6年をどう乗り切るかがポイントになります。もっとも、小学校に上がると、学童クラブ、塾、親の介護など別の問題も浮上しますが。どうしても両立が厳しいときは、ベビーシッターなどで乗り切るのがよいと思います。

つくばには夫婦別居婚で子育てしながら研究もバリバリやっている人が居ますので、私はまだまだ恵まれた環境だったなと実感しています。また、今考えてみると、育休が取れなかったのが残念ですが、子どもが大きくなるまで悩みはつきないので、今後も子育てと研究を両立していけたらと思っています。

取材2015年12月